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保育所保育指針の歴史と今【第2回】昭和40年、守る義務のない通達として始まりました

15 分前
読了時間: 9分

まずは解説動画をご覧ください(約18分)


▲ 保育所保育指針の歴史と今 第2回。日本で初めての指針が生まれた瞬間をたどります。


前回は、指針がなかった時代のお話をしました。

第二次世界大戦が終わった1945年、保育所はすぐには自分たちの指針を持てませんでした。最低基準はあった。保育要領もあった。けれども保育所のための指針には、まだ大きな空白があった。そこまでをご一緒に見てきました。

今日はいよいよ、その空白が埋まる瞬間です。

昭和40年、1965年。日本で初めての保育所保育指針が生まれます。

今日の問いはシンプルです。

なぜ昭和40年だったのか。そして最初の指針には、どんな思いが込められていたのか。

読み終えたときに、この2つをご自分の言葉で説明できるようになっていただけたらと思います。




昭和40年ごろ、日本はどんな時代だったか

まず、この時代の空気を感じ取ってみましょう。

一言で言えば、高度経済成長のまっただ中です。

工場が増え、都市に人が集まり、経済がぐんぐん伸びていった時代。例えるなら、国全体が坂道を一気に駆け上がっていくような勢いだったんですね。

この流れの中で、働くお母さんが少しずつ増えてきます。そうすると当然、子どもを預ける場所、つまり保育所の必要性がどんどん高まっていきました。

ここで、保育所の役割が少しずつ変わり始めます。

戦後すぐは、困っている家庭の子どもを救う福祉の場、という色合いが強いものでした。でも働く家庭が増えるにつれて、保育所は、すべての子どもの育ちを支える場へと意味が広がっていったのです。




地図を持たずに歩いている状態

保育所がどんどん増えていく。保育者も増えていく。これ自体はいいことです。

でも、ここでひとつ問題が出てきます。

保育所だけの共通の拠り所が、なかったんですね。

保育要領は幼稚園が中心の手引きでしたし、最低基準は施設の最低ラインを決めるもの。保育所がみんなで同じ方向を向くための、保育の中身を示したものは、この当時まだありませんでした。

これは例えるなら、地図を持たずに、それぞれの園がそれぞれの感覚で歩いている状態です。

一生懸命やっていても、園によって保育の中身がバラバラになりやすい。これでは、子どもたちに届く保育の質に差が出かねません。

だからこそ、現場からも行政からも、こういう声が高まっていきます。


保育所には、保育所のための指針がいる。



昭和40年8月、ついに誕生する

昭和40年、1965年の8月。ちょうど暑い時期です。

厚生省の児童家庭局から、日本で初めての保育所保育指針が出されます。

保育所が、ついに自分たちの拠り所を手にした瞬間でした。




ただし「通達」でした

ここで、とても大事なポイントがあります。

この最初の指針は、通達という形で出されました。

通達という言葉はお聞きになったことがあるかと思いますが、ざっくり言うと、国から現場へのお知らせ、案内のようなものです。「これを参考にしてくださいね」という性格のもので、必ず守らなければいけないという強い拘束力までは持っていませんでした。

つまり最初の指針は、あくまで参考とするものという位置づけだったんですね。

ルールというより、拠り所。

この通達という性格が、実はこの先の物語で大きな意味を持っていきます。ここはぜひ、頭の片隅に置いておいてください。後の回でもう一度じっくり扱います。




最初の指針に書かれていたこと

では、その最初の指針には何が書かれていたのでしょうか。

いちばんの背骨になったのが、養護と教育を一体的に行うという考え方です。

これは保育所保育の特性そのものを言い表した言葉なんですね。

言葉の確認をしておきます。養護とは、子どもの命を守り、心を安定させる関わりのこと。教育とは、子どもの育ちを促し、活動を豊かにしていく関わりのことです。

保育所では、この2つを切り分けずに、ひとつの営みとして同時に行う。これが「一体的に」という言葉の意味です。

ご飯を食べる場面ひとつ取ってもそうですよね。

お腹を満たして体を守る。これは養護です。でも同時に、スプーンの使い方を知ったり、「おいしいね」と心が動いたりする。これは教育です。

保育の現場では、この2つがいつも溶け合って起きている。その当たり前を、初めて言葉にしたのが昭和40年の保育所保育指針だったわけです。




構成は6領域だった

もうひとつ、構成も見ておきましょう。

最初の保育所保育指針は、子どもの発達、つまり年齢に応じた育ちの道筋に沿って、保育の内容を整理していました。0歳の赤ちゃんから就学前まで、長い時間をかけて子どもが育っていく、その流れに沿って書かれていたんですね。

そして保育の内容は、当時の幼稚園教育要領を土台にした6つの領域で整理されていました。



領域

保育所保育指針(昭和40年)

健康・社会・言語・自然・音楽・造形

幼稚園教育要領(昭和31年)

健康・社会・自然・言語・音楽リズム・絵画製作


お気づきでしょうか。幼稚園のほうは「音楽リズム」「絵画製作」という名前でした。保育所の指針では「音楽」「造形」と、少しシンプルな言葉が選ばれています。細かいところですが、保育所ならではの工夫なんですね。

ここで「あれ」と思われた方、鋭いです。

いまの保育所保育指針は5領域ですよね。健康・人間関係・環境・言葉・表現。

そう、最初は6領域、いまは5領域。 ここが後の改定で変わっていくところでもあります。今日は「最初は6領域だった」とだけ、頭の片隅に置いていただければと思います。

領域の具体的な中身は、原文をもとに次回さらに詳しく扱います。




今日のまとめ

昭和40年、高度経済成長の中で保育の必要性が高まった。保育所が増える一方、共通の拠り所がなかった。だから昭和40年8月、初めて保育所保育指針が誕生した。

ただしこの当時は通達、つまり参考とするものという性格だった。

その指針の背骨は「養護と教育を一体的に」。内容は6領域で整理されていた。

一言で言うなら、昭和40年は、保育所が自分の言葉で保育を語り始めた最初の一歩です。とても大きな前進でした。

でも、これがゴールではありません。社会はこの後も変わり続けます。子育ての形も、保育所に求められるものも。だから保育所保育指針も、時代に合わせて何度も改定を重ねていくことになります。




当時、どれだけの子どもが生まれていたか

ここからは、収録を終えたあとに考えていたことを書き添えます。

少し豆知識のような話になりますが、いまの日本の出生数はご存じでしょうか。

厚生労働省が今年6月に公表した2025年の数字で、67万1,236人。前年の68万6,173人からさらに減り、10年連続で過去最少を更新しています。

では、1945年から1949年ごろはどうだったと思われますか。

最高値は269万6,638人(1949年)です。

いまの約4倍の子どもが、1年間に生まれていたことになります。これがいわゆる団塊の世代です。

戦争が終わってやっと日本が安定した。戦地から兵士たちが戻ってきて、その後に家族をつくるようになっていった。その世代に出生数が非常に多かったと言われています。

そして団塊の世代の方々は、戦争が終わって20年後、ちょうど成人する時期を迎えます。その方たちの子どもが、第二次ベビーブームにつながっていきました。




テレビのある家に、みんなで集まった時代

高度経済成長期ですから、父親もいっぱい働いて、母親もいっぱい働いて、その時期に保育所に預けるという方が非常に多くなっていきました。そして日本も、少しずつ豊かになっていきます。

東京オリンピックを、近所のテレビのある家に行ってみんなで見る。そんな光景があった時代です。初めてカラーでテレビが映ったのも1960年代でした。この頃の漫画では、鉄腕アトムがテレビアニメとして放送されています。

ちなみに、この時代の国民的なアニメというと、ドラえもんを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。夕方の食事どきにテレビから流れていて、家族みんなで見ていた。そんな記憶をお持ちの方も多いはずです。

ただ、ドラえもんの連載が始まったのは1969年の暮れ。テレビアニメとして広く親しまれるようになったのは、さらに後のことでした。指針が生まれた昭和40年には、まだ登場していないんですね。

保育所保育指針のほうが、ドラえもんより少しだけ先輩ということになります。

そういった時代に、保育所保育指針は生まれました。

保育所に預ける方が多くなって、保育所も多くなって、保育者も増えていった。でもその中で、保育の仕方が本当にバラバラだった。だから日本の保育の最低ラインを決め、保育の拠り所を決めていく。その必要に迫られて、この指針ができたということです。




60年経った今も、同じ問いが残っています

ただ、ここでひとつ申し上げておきたいことがあります。

先ほどお話ししたとおり、最初は通達でした。「参考にしてください」というものだったわけです。

ですから、当時を生きていた方に、私は聞いてみたいことがあるんです。


その時の指針って、実際に見られていたんですか。

なぜこんなことを申し上げるかというと、この動画の配信は、私にとって問題提起でもあるからです。

全体をひとくくりに言ってしまうような形かもしれませんが、やはりまだ、指針が保育所の中で十分に浸透していなかったり、保育を振り返る際に指針を開いて「さっきの保育をこう振り返ろう」という文化が、なかなかできていなかったりする。

その問題は、もしかしたらここが出発点だったのかもしれない。 そう思うところがあります。

ただ、当時の保育所からすれば、いきなり法律的な、つまり告示というもので出されてしまったら、おそらく保育がやりづらくなってしまう。そういった配慮があったのかもしれません。

そのうえで、1965年から60年経ってなお、そうしたところがまだあるということですから。




このシリーズのゴール

だから私は、保育所保育指針の歴史をたどりながら、今に近づき、そしてこれから改定される指針までを見ていきたいと思っています。

来年度の改定までをゴールにして、このシリーズを書き上げていきます。

過去、今、そして未来。来年から改定されるものがどういうふうに変わっていったのか。本当にスタートから全部、洗いざらい見ていきたいと思いますので、一緒に勉強しながら学んでいければと思います。

次回は、その最初の保育所保育指針をもう一歩踏み込んで読んでいきます。構成はどうなっていたのか。原文には実際、どんな言葉が並んでいたのか。昭和40年版をじっくり味わう回です。

まだ 【第1回】 をご覧になっていない方は、指針がなかった時代のお話から順にご覧いただくと、流れがつながります。




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