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幼稚園教育要領の歴史と今【第3回】日本最初の保育内容は25の細目のうち19が恩物だった|明治10年の幼稚園規則

1 時間前
読了時間: 11分

まずは解説動画をご覧ください(約26分)


▲ 明治10年(1877年)、東京女子師範学校の幼稚園規則に書かれた、日本最初の保育内容を読み解きます。


開園から8か月、保育内容が文字になった

前回の第2回は、明治9年 11月 16日、日本最初の幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園が開園するまでをたどりました。2度目の申請でようやく許可が下り、園児は上流階級の子女が大部分だった。そういう始まりの回でしたね。

今回は、その開園から8か月後、明治10年 7月のお話です。この月、日本で最初の保育内容が文字になります。

東京女子師範学校が定めた「幼稚園規則」。ここに、保育の科目と1日の時間割が書かれていました。

保育所保育指針も幼稚園教育要領も、まだ影も形もない時代です。でも、子どもと何をするのかを言葉にした文章は、このときすでにあったんです。

そしてその中身を見ていくと、今の私たちが「保育内容」と聞いて思い浮かべるものとは、かなり違う風景が出てきます。

『学制百年史』には、こう書かれています。


十年七月、東京女子師範学校は幼稚園規則を制定し、保育の科目のほか時間表も定めた。



1つの園の規則が、全国の基準になった

ここで、いちばん大事な前提を確認しておきます。

この幼稚園規則は、国の告示ではありません。文部省が全国に向けて示した基準でもありません。1つの幼稚園が、自分のために定めた規則です。

たとえて言えば、ある園の「園則」と同じです。

ところが、これが事実上、全国の基準になっていきます。なぜそうなったのでしょうか。

研究では、附属幼稚園の開設には3つの目的があったようだ、と指摘されています。


  1. 幼稚園の模範を示すこと

  2. 教育の発展を図ること

  3. 女子師範学校の生徒の実習に役立てること


第1の目的が「模範を示すこと」。つまりこの園則は、最初からほかの園にまねされることを前提に書かれていたんです。

前回、この幼稚園を「大学病院のようなもの」と申し上げました。その大学病院が定めた診療の手順書。それがこの幼稚園規則だと考えていただくと、位置づけがはっきりします。




第一条|幼稚園は何のためにあるのか

では、第一条から見ていきます。


幼稚園開設ノ主旨ハ学齢未満ノ小児ヲシテ、天賦ノ知覚ヲ開達シ、固有ノ心思ヲ啓発シ身体ノ健全ヲ滋補シ交際ノ情誼ヲ暁知シ善良ノ言行ヲ慣熟セシムルニ在リ

漢文調で読みにくいですね。5つに分けて、今の言葉にしてみます。

原文

今の言葉で

天賦ノ知覚ヲ開達シ

生まれ持った感じる力を、開いて伸ばす

固有ノ心思ヲ啓発シ

もともとその子にある心の動きを、引き出す

身体ノ健全ヲ滋補シ

体の健康を、養い助ける

交際ノ情誼ヲ暁知シ

人との付き合い方や思いやりを、知る

善良ノ言行ヲ慣熟セシムル

よい言葉と行いを身につけて、習慣にする

いかがでしょうか。健康、人との関わり、心、言葉。今の5領域と、驚くほど近くありませんか。

もちろん、明治10年の第一条が5領域の直接の原型だとまでは言えません。そこは断定しません。

ただ、幼児期に何を大切にするのか、という問いに人間が出す答えは、150年たってもそう遠くへは行かないのかもしれませんね。




誰が、何人で、何時間過ごしたのか

第二条|満3歳から満6歳まで、例外もあり

次に、誰が通えたのか。第二条です。


男女ヲ論セス年齢満三年以上満六年以下トス

今の言葉にすると、こうなります。


  • 男女を問わず、満3歳以上、満6歳以下

  • ただし場合によっては、満2歳以上の子どもの入園も認める

  • 6歳を過ぎた子どもを、そのまま在園させることもある


明治10年の時点で、2歳児の受け入れに例外の道が開かれていたんですね。


第四条・第九条|定員およそ150名、年齢で3組

第四条と第九条です。

入園ノ小児ハ大約百五十名ヲ以テ定員トス
年齢ニ由リコレヲ分ツテ三組トス

定員はおよそ150名。そして年齢によって、3つの組に分けるとされています。

組

年齢

一ノ組

満5歳以上

二ノ組

満4歳以上

三ノ組

満3歳以上

お気づきでしょうか。定員150名を3つの組に分けると、単純に割って1クラスおよそ50人です。

保育の現場にいらっしゃる方なら、その数字にぞっとされるかもしれません。ただ、これは規則に書かれた1クラスの人数ではありません。定員の「大約」、つまりおよその上限として書かれた数字から割り出したものであることは、押さえておいてください。


第十条|毎日4時間、でも途中で帰ってもいい

では、1日はどのくらいの長さだったのか。第十条です。


小児保育ノ時間ハ毎日四時トス 但シ当分ノ間保育時間内ト雖モ小児ノ都合ニ由リ退園スルモ妨ケナシトス

保育の時間は毎日4時間。ただし当分のあいだは、保育時間の途中でも、子どもの都合で帰ってしまってかまわない、ということです。

ここ、私は驚きました。明治10年の規則に、「子どもの都合で帰ってよい」とわざわざ書かれているんです。

新しい場所です。3歳の子どもに、慣れない場所で4時間、無理をさせない。当分のあいだはそれでいい。そう書いた人がいた、ということですね。


第十一条|季節で開園時間が違う

そして第十一条です。

小児在園ノ時間ハ六月一日ヨリ九月十五日マテ午前八時ヨリ正午十二時ニ至リ九月十六日ヨリ五月三十一日マテ午前九時ヨリ午后第二時ニ至ル

期間

在園時間

6月 1日〜9月 15日(夏)

午前8時〜正午12時

9月 16日〜5月 31日(冬)

午前9時〜午後2時

季節で開園時間が違うんですね。夏は早く始めて早く終わる。暑い時間を避けるためでしょう。冷房も暖房も今のようにはない時代の設計です。




保育の中身は「物品科・美麗科・知識科」

さあ、いよいよ保育の中身です。

幼稚園規則で決められた保育の科目は、物品科・美麗科・知識科の3科でした。

「科」です。「領域」ではなく「科」。この言葉には、あとで戻ってきます。

『学制百年史』に載っている原文と、今の言葉を並べます。

科目

原文

今の言葉で

物品科

日用ノ器物即チ椅子机或ハ禽獣花果等ニツキ其性質或ハ形状等ヲ示ス

椅子や机などの日用品、あるいは鳥や獣、花や果物について、その性質や形を示す

美麗科

美麗トシ好愛スル物即チ彩色等ヲ示ス

美しく、子どもが好むもの、たとえば色彩を示す

知識科

観玩ニ由テ知識ヲ開ク即チ立方体ハ幾個ノ端線平面幾個ノ角ヨリ成リ其形ハ如何ナル力等ヲ示ス

よく見ていじって遊ぶことで知識を開く。たとえば立方体はいくつの辺と面、いくつの角からできているか、その形はどのような力を持つかを示す

ここで用語を1つ。「観玩(かんがん)」とは、よく見て、いじって遊ぶことです。

立方体の辺と面と角の数。これを、3歳から6歳の子どもに、です。研究者もここを指摘していて、知識科には小学校の算数のようなものまで含まれている、とされています。




25の細目と恩物

そして、この3科の下に、25の細目が並びます。


五彩球ノ遊ヒ、三形物ノ理解、貝ノ遊ヒ、鎖ノ連結、形体ノ積ミ方、形体ノ置キ方、木箸ノ置キ方、環ノ置キ方、剪紙、剪紙貼付、針画、縫画、石盤図画、織紙、畳紙、木箸細工、粘土細工、木片ノ組ミ方、紙片ノ組ミ方、計数、博物理解、唱歌、説話、体操、遊戯

何のことだろう、と思われた方が多いと思います。

これ、ほとんどが恩物なんです。研究では、この25の細目のうち19が恩物だとされています。種類の数だけでなく、保育時間の多くを恩物が占めていたことも指摘されています。

いくつか見てみましょう。

細目

中身

五彩球ノ遊ヒ

5色の毛糸で包んだ玉で遊ぶ。フレーベルの第1恩物

三形物ノ理解

球・円柱・立方体を扱う。第2恩物

形体ノ積ミ方・形体ノ置キ方

積み木の系列

剪紙・織紙・畳紙・針画・縫画

切る、織る、折る、刺す、縫うなど、手を使う作業の系列

第1回で、恩物には「積み木の系列」と「手を使う作業の系列」がある、と申し上げました。覚えていらっしゃいますか。それがそのまま、日本の保育内容の細目になっているんです。

第1回で張った伏線を、ここで1本回収します。恩物は、明治10年の幼稚園規則の科目へ移っていたんですね。フレーベルがドイツで考えた遊具が、37年で海を渡り、日本最初の保育内容の中身になっているんです。

そして、恩物でないものが6つだけありました。計数、博物理解、唱歌、説話、体操、遊戯です。数を数えること、生き物やものの話を聞くこと、そして歌、お話、体操、遊戯ということになります。




「庭」が「科」になった

さて、「科という言葉にあとで戻ってきます」と申し上げました。ここが、今日いちばん考えていただきたいところです。

この25の細目は、実際にどう行われていたのでしょうか。研究の記述を要約すると、次のとおりです。


  • 恩物による活動が、週単位で計画されていた

  • 1日の保育は、時間割のように並べられていた

  • 園児たちは、授業のように一斉に同じ活動をしていた


これは、教科カリキュラムに基づくものだと分析されています。

思い出してください。第1回でお話しした、フレーベルはなぜ「庭」、つまり「キンダーガルテン」という言葉を選んだのか。子どもは庭の花のように育つ。庭師は土をつくり、光を入れ、あとは花が自分で咲く。そういう考え方だったからですね。

その考え方が日本に届いて、最初に文字になった保育内容は、「科」でした。時間割があり、一斉に同じことをする形でした。

庭が、科になったのです。


それでも「失敗」と断じるのは違う

ただ、これを当時の人たちの失敗だと断じるのは、私は違うと思うんです。

研究には、教育内容は松野クララの英語による説明を、関信三や初代保母の豊田芙雄、中村正直の娘たか子などが訳して実践した、と書かれています。

英語で説明を受けて、その場で訳して、やってみる。手本もない。前例もない。その状況で、当時いちばん確かだった枠組み、つまり小学校の教科と時間割を借りてくる。これは、むしろ自然なことだったのではないでしょうか。

そして、この形は永遠には続きません。恩物はこのあと、数を減らし、保育時間に占める割合も下がっていきます。その大きな転換は、第5回でじっくり扱います。




今日のまとめ

  1. 明治10年 7月、東京女子師範学校が幼稚園規則を定めました。これは国の告示ではなく、1つの園の規則でした。模範を示すことを目的として書かれ、事実上の全国の基準になっていきます

  2. 第一条には、感じる力、心の動き、体の健康、人との関わり、よい言葉と行いという、5つの趣旨が並んでいました

  3. 保育の科目は物品科・美麗科・知識科の3科。その下に25の細目があり、そのうち19が恩物だとされています

  4. 実際の保育は、週単位の計画と時間割をもとに、一斉に同じ活動をする形でした


ひとことで言うと、こうなります。

日本最初の保育内容は、25の細目のうち19が恩物だった。そして、遊びではなく、時間割のある授業として始まった。




次回は「学校の外に置かれた幼稚園」

次回の第4回は、「学校の外に置かれた幼稚園」です。

明治12年の教育令で、幼稚園は学校と区別して扱われます。そして明治15年、文部省は、貧しい家庭の子どものための「簡易幼稚園」を奨励し始めます。

上流階級の子女が通う幼稚園と、貧しい家庭の子どものための簡易幼稚園。日本の幼児教育が2つに分かれていく、その最初の分岐点です。




収録を終えて

明治の文章は漢文調で、読むのが本当に難しいですね。読み方を間違えているところがあったら、失礼しました。ただ、大まかな流れはつかんでいただけたでしょうか。

1868年に明治維新があり、今回の1877年はそこからわずか9年後。新しい日本の幕開けといった時期です。中央集権の国家ができあがっていく、その裏側で学制が始まり、幼稚園が始まりました。

25の細目のうち19が恩物、つまりフレーベルが唱えた考え方でした。それが海を渡って日本の保育に入っていたというのは、すごいことです。

ただ、「キンダーガルテン」という庭の考え方ではなく、一斉の形で始まりました。上が決めて下が従う、という統治のもとで歩んできた日本と、フレーベルのいたドイツとでは、歴史も文化も考え方も違います。小学校ができたばかりの日本の歴史からすれば、仕方のないことだったと思います。

それでも、そもそもの「キンダーガルテン」という考え方を、英文を読みながら、その場で日本語にして形にしていった。そのこと自体が、私はすごいと思います。そして当時の法律や文化に当てはめていったときに、こうなっていったんだな、ということも、お話ししながら少しずつ分かってきました。




「うちの保育、一斉にさせすぎていないかな」と感じている園長・主任の先生へ

明治の幼稚園は、手本も前例もない中で、小学校の時間割を借りて始まりました。150年たった今も、「みんなで同じことを、同じ時間に」が、いつの間にか保育の当たり前になっていることがあります。

ただ、それを変えようとしても、職員一人ひとりが「なぜそうするのか」を指針や要領の言葉で説明できないと、園の中の話し合いはなかなか進みません。

すずらんチャイルドケアの保育士等キャリアアップ研修は、オンデマンドの講義と、全国の保育者と語り合うZoomの交流を組み合わせた研修です。

受ける前

受けたあと

一斉の活動が当たり前になっていて、見直すきっかけがない

子どもの主体性を大切にする保育を、指針や要領の考え方とつなげて説明できる

研修に出すためのシフト調整が負担

講義は職員それぞれの都合のよい時間に受けられる

園の中だけで考えていて、ほかの園のやり方を知らない

全国の保育者と話し合い、自園を見直すきっかけが得られる

7分野・約20コースをご用意しており、約40都道府県から指定をいただいています。東京都の指定を受けているコースは、東京都の補助金の対象となる方は受講料無料で受けられます。

日程とお申し込みは、こちらの案内ページをご覧ください。



このほか、処遇改善等加算、こども誰でも通園制度、こども性暴力防止法、カスタマーハラスメント対策、神奈川・東京・大阪の保育補助金、人事評価などのセミナーも行っています。詳しくはホームページをご覧ください。




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