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幼稚園教育要領の歴史と今【第1回】幼稚園はどこから来たのか|フレーベルと明治5年の「幼稚小学」

6 分前
読了時間: 12分

まずは解説動画をご覧ください(約21分)

▲ 幼稚園という考え方がドイツで生まれ、明治の日本にどう届いたのかをたどる、シリーズ第1回です。


今回から、新しいシリーズ「幼稚園教育要領の歴史と今」を始めます。予定では全17回、少し長い旅になります。




なぜいま、幼稚園教育要領の歴史なのか

理由は1つです。

令和9年度の改訂に向けて、いま、こども家庭庁と文部科学省が、保育所保育指針・幼稚園教育要領・幼保連携型認定こども園教育・保育要領の3つを、より一体的なものへ近づける議論を進めています(議論の中身は【番外編】8月の取りまとめ案で解説しています)。

3つが近づいていくということは、3つそれぞれの成り立ちを知らないと、新しい枠組みの意味が読み取れないということです。

保育所保育指針の歴史は、前のシリーズで今の指針までたどり着きました。幼稚園教育要領にも、同じように歴史があって今があります。正直に申し上げると、私自身もまだ勉強が足りないところです。動画をお届けしながら、皆さんと一緒に学んでいければと思っています。

そしてこのシリーズは、第1回からいきなり幼稚園教育要領の話はしません。要領が生まれる前に、いったい何があったのか。ここを読み飛ばすと、あとの話がすべて丸暗記になってしまうからです。

今日のテーマは、幼稚園という考え方がどこで生まれ、日本にどう届いたのか。舞台は、ドイツの小さな町から始まります。




建築家を目指していたフレーベル

フリードリヒ・フレーベル。1782年に生まれ、1852年に亡くなったドイツの教育者です。

この人、もともとは建築家になるつもりでした。ところが1805年、23歳のとき、偶然の機会からフランクフルトにあったペスタロッチ主義の模範学校の教師になり、そこで教育の仕事に天職を感じ取ったと記録されています。

ここで、用語を1つ。

ペスタロッチは、スイスの教育者です。子どもは頭で覚えるのではなく、見て、触れて、感じることから学ぶ。いわゆる「直観教育」を唱えた人です。

フレーベルは2度にわたってスイスのイヴェルドンにペスタロッチを訪ね、師事したとされています。そして1826年、主著『人間の教育』を刊行します。

建築家を志していた人が、「人間という建物」の設計に出会った。そう言うと、少しきれいにまとめすぎでしょうか。

でも実際、フレーベルの発想はとても構造的です。子どもの中に育つ力があって、大人はその力が伸びる形を用意する。この考え方は、のちの日本の幼稚園教育要領にも、姿を変えて残り続けています。

ただし、この時点ではまだ、「幼稚園」という言葉は世界のどこにも存在していません。




フレーベルが「幼稚園」と名づけた日

ここは少し丁寧にお話しします。この3年間は、資料によって書き方が違うところだからです。

年

できごと

1837年

ブランケンブルクという町に移り、施設をつくる。同年 8月以降、「幼児期と青少年期の作業衝動を育むための施設」と称された

1839年

保育者を育てる「幼児教育指導者講習科」を設立。講習生が実習するため、町の6歳以下の子どもを集めた場を「遊びと作業の施設」と名づけた

1840年

この施設が「一般ドイツ幼稚園」と命名される。ドイツ語で「キンダーガルテン」

1837年の施設は名前が長いですが、要は遊具を考えて、それを広めるための施設でした。

そして1840年、「キンダーガルテン」、つまり「子どもの庭」という名称が、人類の教育史上で初めて使われたと記されています。

なぜここを分けてお話ししたかというと、「1837年に世界初の幼稚園ができた」と書かれた資料も多いからです。

どちらが間違いという話ではありません。施設ができた年と、その施設が「幼稚園」と名づけられた年が違う、というだけのことです。このシリーズでは、1840年を「幼稚園」という言葉が生まれた年としてお話しします。


なぜ「庭」だったのか

子どもは、庭の花のように育つ。

庭師は土をつくり、光を入れる。あとは、花が自分で咲く。壁に囲まれた部屋ではなく、庭なのです。

この言葉の選び方そのものが、フレーベルの教育観だったわけですね。




恩物は「教える教材」ではなかった

フレーベルの名前とセットで出てくるのが「恩物(おんぶつ)」です。

恩物は、ドイツ語では「ガーベ」、英語では「ギフト」。つまり贈り物です。神から子どもへの贈り物、という意味合いで名づけられたと説明されています。1837年に設立した施設で、この恩物の製作と販売に着手したとされています。

恩物は、2つの系列でできています。

系列

中身

幾何学的な形の積み木の系列

球、立方体、円柱など

手を使う作業の系列

折る、切る、貼る、粘土をこねるなど

ここで大事なのは、恩物は「教える教材」ではなかった、ということです。

フレーベルはペスタロッチの直観教育に傾倒し、幼い時期に自由に遊ぶことを通して、物事の本質を体で感じとることの大切さを主張しました。一つひとつの贈り物は、子ども自身が進んで活動するようにつくられている、と説明されています。


恩物は形を変えて生き残る

ここからが、このシリーズの伏線です。この恩物が、日本に渡ります。


  • 明治10年:日本で最初の幼稚園の規則に、恩物を使った活動がずらりと並びます

  • 明治32年:恩物は「手技」という1つの項目の中に収められ、しかも項目のいちばん最後に置かれます。格下げです

  • 昭和31年:日本で最初の幼稚園教育要領ができたとき、そこには「絵画製作」という領域が立っています


恩物は、消えたわけではないんです。形を変えて生き残っている。

この流れを頭の片隅に置いていただくと、第3回、第5回、第9回の話がぐっと面白くなります。




そのころ日本は|京都の番組小学校と明治5年の学制

では、フレーベルが「子どもの庭」と名づけた1840年ごろ、日本はどうだったのか。

1840年といえば、江戸時代の終わりごろです。寺子屋があり、藩校があり、私塾がありました。

明治になると、動きは早いです。

明治2年、京都で、上京第二十七番組小学校(のちの柳池(りゅうち)小学校)が開校します。国が学制を定める3年も前のことです。町の区画ごとに1校ずつ、住民の寄付と出資でつくられた、いわゆる「番組小学校」です。近代的な小学校の先がけと言われています。

そして明治5年、学制が定められます。日本で最初の、近代的な学校制度の基本となる法令です。

ここで確認しておきたいのは、この時点では、幼児のための施設は制度としてまだ存在していない、ということです。子どもの世話は、家庭と地域、そして年長の子どもによる子守りが担っていました。




学制に書かれていた「幼稚小学」

ところが、その学制を開いてみると、意外なことが書かれているんですね。

明治5年の学制、第二十二章です。


幼稚小学ハ男女ノ子弟六歳迄ノモノ小学ニ入ル前ノ端緒ヲ教ルナリ

今の言葉にすると、こうなります。


幼稚小学とは、男女の子どもで、6歳までの者に、小学校に入る前の「入り口」を教えるところである。

しかもこれは、思いつきで1行だけ書かれたものではありません。学制は小学校をいくつかの種類に分けていて、その並びはこうです。


尋常小学・女児小学・村落小学・貧人小学・小学私塾・幼稚小学

つまり幼稚小学は、小学校の一種として、きちんと制度の設計図の中に位置づけられていたわけです。

明治5年は、フレーベルが「キンダーガルテン」と名づけてから、まだ32年です。日本の最初の学校制度は、就学前の教育施設を最初から視野に入れていた。これは、けっこう驚くべきことだと思うんですよね。




でも、幼稚小学は実現しなかった

ところが、文部省がまとめた『学制百年史』には、こう書かれています。


しかしこの幼稚小学は実現をみなかった。

理由も、続けて書かれています。当時は小学校の開設に重点が置かれ、就学前の幼児教育施設にまでは及ばなかったのだ、と。

これだけだと、少し他人ごとに聞こえるかもしれません。ですから、数字を見ていただきます。


小学校ですら、来ている子は3〜4割

用語を1つ。「就学率」とは、学齢(学校に通う年齢)に達した子どものうち、実際に学校に通っている子どもの割合です。

年

学齢児童の就学率(男女平均)

明治6年(学制の翌年)

28.1%

明治8年

35.4%

明治10年

39.9%

義務として位置づけられた小学校で、3割から4割。裏を返せば、6割の子どもが学校に来ていなかったということです。

『学制百年史』は、この状況を、学校制度の整備が進んだにもかかわらず、一般の人々の教育観と、学制に示された近代学校の姿とのあいだに溝があったことを示すもの、と評しています。

子どもを学齢のあいだ学校に通わせることは、まだ一般の人々の常識ではなかったというわけです。

さらに当時の学校は、建設費も運営費も、地域と家庭が負担する仕組みでした。小学校をつくるだけで、地域は限界だったんですね。その状況で、6歳までの子どものための施設にまで手を伸ばせるか。ちょっと無理ですよね。

これは、今の保育現場でもまったく同じ構造をご覧になっていると思います。

制度としては、よいことが書かれている。でも、人もお金もそこまで届かない。制度が「絵に描いた餅」になる瞬間です。

幼稚園の歴史は、そのいちばん最初のページから、そういう話なのです。




日本で最初の幼児教育施設は、京都にあった

では、日本で最初の幼児教育施設は、いつ、どこにできたのか。

「明治9年の東京」とお答えになる方が多いと思います。それは次回、第2回でたっぷりお話しします。

その前に、実はもう1つあるんです。

明治8年 12月、京都。上京第三十区第二十七番組小学校、のちの柳池小学校の中に、「幼稚遊嬉場(ようちゆうきじょう)」が開設されたと記録されています。読み方も字も、あまり見かけないですよね。

『学制百年史』は、これを実際に設けられた幼児教育施設として最も早いものに挙げ、次のように記しています。


これはドイツのフレーベル流の幼稚園を模範として設けられたようであるが、一年半ばかりで廃止され長くは続かなかった。

ここで注目していただきたい点が2つあります。

1つ目。これは学制に書かれた「幼稚小学」ではありません。国の制度として実現したものではなく、京都という地域が独自に開いた場でした。

日本で最初の番組小学校をつくった、あの京都です。小学校を住民の力で建てた町が、その次に、幼い子どものための場を試したわけですね。

2つ目。フレーベルの幼稚園を模範にしたとされている点です。1840年にドイツで生まれた「子どもの庭」という考え方が、35年で京都の小学校の中に届いている。当時の情報の伝わり方を考えると、これはかなりの速さです。

そして、この場は続きませんでした。

しかしその翌年、明治9年 11月、東京で、今度は国の手によって1つの幼稚園が開かれます。




今日のまとめ

  1. 「幼稚園」という言葉は、1840年、ドイツでフレーベルによってつけられました。子どもは庭の花のように育つ、という考え方から生まれた名前です

  2. フレーベルが考えた恩物は、のちに日本の保育内容の原型となり、形を変えながら要領の中に残り続けます

  3. 日本では、明治5年の学制に「幼稚小学」という構想がはっきり書かれていました。しかし、実現はしませんでした

  4. その理由は、小学校自体の就学率が3〜4割だったほど、制度の理想に人とお金が追いつかなかったからです

ひとことで言うと、こうなります。

幼稚園は、法令に書かれてから、明治9年に国の幼稚園が開かれるまで4年かかった。そして最初の一歩は、国ではなく地域が踏み出した。




次回は明治9年 11月、はじまりの日

次回の第2回は、明治9年 11月、はじまりの日。東京女子師範学校附属幼稚園です。

太政官への伺いが一度は却下されていたこと。松野クララという女性のこと。そして、この幼稚園に通っていたのがどんな家庭の子どもだったのか。ここから、日本の幼児教育のもう1つの顔が見えてきます。


収録を終えて

撮影を終えて、少しだけお話しさせてください。

シリーズ1本目は、1837年、そして1840年のフレーベルのお話から始めました。

1840年といえば幕末、日本は江戸時代の末期です。明治に変わるのが1868年ですから、その28年前に、ドイツでフレーベルがこうした取り組みを始めていたわけです。フレーベルは、保育業界の方なら知らない人はいない人物ですよね。今回は、その出発点のお話をさせていただきました。

保育所保育指針の歴史と比べると、こちらはずっと深いです。保育所保育指針のシリーズは、第二次世界大戦が終わった1945年以降からお話を始めて、指針が誕生したのは1965年でした。幼稚園の歴史は、それより100年ほど早くから始まっていることになります。

次回からも、まだ幼稚園教育要領そのものは出てきません。そもそも幼稚園がどんな形で始まり、どうやって幼稚園教育要領ができあがっていったのか。その誕生前から、引き続きお話ししていきます。




保育の「土台」を、職員が学べる場をお探しの園長・主任の先生へ

フレーベルの「子どもの庭」から始まった考え方は、形を変えながら、今の幼稚園教育要領・保育所保育指針の中に生きています。

ただ、日々の保育に追われる中で、職員一人ひとりがその土台を学び直す時間を園の中だけでつくるのは、なかなか難しいものです。研修に出したくても、シフトを空けるのが大変、という声もよく伺います。

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受けたあと

指針や要領が、日々の保育とつながっていない

自分の保育を、指針や要領の言葉で説明できるようになる

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講義は職員それぞれの都合のよい時間に受けられる

園の中だけで考えていて、ほかの園のやり方を知らない

全国の保育者と話し合い、自園を見直すきっかけが得られる

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日程とお申し込みは、こちらの案内ページをご覧ください。




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