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幼稚園教育要領の歴史と今【第5回】恩物が「手技」の中へ|明治32年の幼稚園保育及設備規程と、44年に手放した保育内容

7 時間前
読了時間: 12分

まずは解説動画をご覧ください(約26分)


▲ 明治32年(1899年)、幼稚園だけの法令が生まれ、恩物が「手技」の中に入ったこと。そして明治44年(1911年)、国がその保育内容を自ら法令から消したことをたどります。




幼稚園だけの法令が、初めて生まれた

前回の第4回では、明治12年から明治17年をたどりました。幼稚園は教育令で学校と区別され、書籍館、つまり図書館と同じ並びに置かれました。そして明治15年、文部省は簡易幼稚園を奨励します。対象は「父母がその養育を顧みる暇のない者」。二層構造の始まりでしたね。

今回は明治32年。幼稚園に関する初めての単独の法令が生まれます。名前は「幼稚園保育及設備規程(ようちえんほいくおよびせつびきてい)」です。

ここで保育項目が4つに絞られ、恩物は「手技(しゅぎ)」という1つの項目の中に収められます。第1回でお約束した矢印の、2本目を回収する回です。




なぜ、この規程ができたのか

まず、なぜこの規程ができたのか。『学制百年史』には、幼稚園の数が増えると、これを制度化して明確に位置づけることを望む声が高くなった、と書かれています。


たとえば明治三十一年、フレーベル会が文部大臣にあて「幼稚園制度ニ関スル建議書」を提出している。

用語を1つ。「フレーベル会」は、幼稚園関係者の団体です。名前のとおり、フレーベルの教育を学び、広める会でした。

実は明治23年の小学校令で、幼稚園に関する規則は文部大臣が定めることとされていました。ところが、それが制定されていなかったんですね。9年間、そのままにされていたということです。

そこで明治32年 6月、制度化を求める機運を反映して、「幼稚園保育及設備規程」が公布されました。

ここは押さえておいていただきたいところです。この法令は、上から降ってきたものではありません。現場が求めて、できた法令なんです。




幼稚園保育及設備規程は何を決めたのか

まず、幼稚園は満3歳から小学校に就学するまでの幼児を保育するところだ、と明確にしました。満3歳からという点は、明治10年の幼稚園規則と同じです。

そして、8つの規定です。


決められたこと

1

保育時数は1日5時間以内

2

保母1人が保育する幼児の数は40人以内

3

1つの幼稚園の幼児数は100人以内。特別の事情があるときは150人まで

4

保育項目を4つとする(次の章で詳しく)

5

建物は平屋造りとし、保育室・遊戯室・職員室などを備える

6

保育室の大きさは、幼児4人につき1坪より小さくならない

7

遊園(園庭)は、幼児1人につき1坪より小さくならない

8

恩物、絵画、遊戯道具、楽器、黒板、机、腰掛、時計、寒暖計、暖房器具などを備える

いかがでしょうか。職員配置の基準、定員の基準、面積の基準、設備の基準。今の認可基準の骨格が、明治32年にもう出そろっているんですね。

保育室は幼児4人につき1坪。1坪はおよそ3.3平方メートルですから、幼児1人あたり0.8平方メートルほどです。今の基準と比べてどうか、ぜひご自身の園の面積計算と並べてみてください。




恩物が「手技」の中へ

さあ、今日の1つ目の山場です。

第3回でご紹介した明治10年の幼稚園規則では、保育の細目は25ありましたよね。そのうち19が恩物でした。

それが明治32年、4つになりました。

順番

保育項目

1

遊嬉(ゆうき)

2

唱歌

3

談話

4

手技

研究には、この規程で恩物が手技に一括化され、遊嬉・唱歌・談話・手技の保育4項目が定められ、各園ではこれに即した保育実践が展開された、とあります。

一括化。25の細目のうち19を占めていた恩物が、「手技」という1つの箱にまとめて入れられたわけです。

しかも、並び順を見てください。遊嬉、唱歌、談話、手技。手技はいちばん最後です。

第1回で、私はこう申し上げました。恩物は、明治10年に幼稚園規則の科目へ。そして明治32年、手技の中へ。矢印の2本目を、ここで回収しました。

では代わりに、何がいちばん前に来たのか。それは「遊嬉」、つまり遊びです。自由な遊びが、法令の中に名前を持って書かれた。それが明治32年なんです。




1年で、小学校令の中に吸収された

ところが、この単独の法令は、1年しかもちませんでした。正確に言えば、独立した法令だったのが1年だった、ということです。

明治33年 8月、小学校令が改正され、幼稚園を小学校に附設することができるようになりました。そして同時に定められた小学校令施行規則に、前年の幼稚園保育及設備規程が、ほとんどそのまま盛り込まれたのです。この施行規則によって、幼稚園に園長を置くことも定められました。

たとえば、施行規則の第二百七条にはこうあります。


保姆一人ノ保育スル幼児数ハ四十人以下トス

第二百七条です。小学校の規則の、ずっと後ろのほうに置かれているわけですね。

そして、その小学校令の第五条では、幼稚園はこう書かれています。


幼稚園、盲唖学校其ノ他小学校ニ類スル各種学校

念のため申し上げると、これは幼稚園だけを指す言葉ではありません。盲唖(もうあ)学校なども含めた条文の書き方です。ただ、幼稚園の位置づけが、この一句によく表れているとは思います。

せっかく自分だけの法令をもらったのに、翌年、小学校令の中に吸収された。第4回でお話しした「学校の外に置かれた」という状態が、まだ続いているわけですね。




現場からの異議は「砂場をつくれ」という形で出てきた

ここまでは制度のお話でした。では、現場はどうだったのか。

明治30年代、恩物中心の保育に対して、はっきりとした異議が出始めます。先行研究は、東基吉(あずま もときち)、和田実(わだ みのる)、倉橋惣三の保育思想を検討して、恩物の扱いにおける形式主義や、学校教育のような課業主義が批判され、子どもの発達に即した活動や自由遊びが重視されるようになる過程を明らかにしてきました。

研究によれば、東基吉は自由な自己活動としての遊嬉・遊戯の重要性を主張し、和田実は遊戯を中心とする保育の理論化を行ったとされています。また、「学校的幼稚園からの脱却」の出発点を、中村五六(なかむら ごろく)に求める研究もあります。

ここまでだと、少し抽象的ですよね。ですから、具体的なものを1つ挙げます。砂場です。

年

人物と本

砂場について

明治37年

東基吉『幼稚園保育法』

砂堺の設置をいい、付録で「砂場若くは砂利場」を挙げた

明治39年

中村五六『保育法』

「砂を盛りて自由の労作をなさしむべし」

明治41年

中村五六・和田実『幼児教育法』

砂場の意義を論じた

お気づきでしょうか。恩物への異議は、難しい理論の形では出てこなかったんです。「砂場をつくれ」という形で出てきたんですね。

恩物は、決められた形を、決められた順序で扱うものでした。砂はどうでしょうか。決められた形がありません。順序もありません。子どもが握れば、それがその日の形です。

恩物から砂へ。これが、明治30年代に現場が出した答えでした。




明治44年、国は保育内容を法令から消した

そして、今日の本当の山場はこちらです。


明治四十四年七月、小学校令ならびに小学校令施行規則が改正された。その結果、幼稚園の保育事項は削除された。

削除です。明治32年に定めた4つの保育項目が、法令から消えるんですね。

なぜでしょうか。「小学校令並ニ小学校令施行規則中改正ノ要旨」に、その理由が書かれています。


幼稚園ニ於ケル保育事項等ヲ小学校ニ於ケル教則其ノ他ノ如ク画一ニ規定スルハ却テ保育ノ進歩発達ヲ促ス所以ニアラサルノミナラス往々ニシテ保育ノ本旨ヲ誤ルノ虞ナキヲ保セス

今の言葉にすると、こうなります。


幼稚園における保育事項などを、小学校の教則のように画一的に規定することは、かえって保育の進歩発達を促すことにならないばかりか、しばしば保育の本旨(本来の目的)を誤るおそれがある。

保育の本旨を誤るおそれがある。これを書いたのは、批判者ではありません。文部省です。自分が12年前に定めた規程について、そう述べているんですね。

第3回で、私は「フレーベルが『庭』と名づけたものが、日本では『科』になった」とお話ししました。その逆転が、明治44年に起きています。しかも、国自身の手で。

そして第4回を思い出してください。明治17年の達には「其害不尠(そのがいすくなからず)」とありました。幼児を小学校と同じように教えるのは、害が少なくない、と。

明治17年の「其害不尠」と、明治44年の「保育ノ本旨ヲ誤ルノ虞」。27年の時を隔てて、同じ発想がもう一度現れます。しかも今度は、文部省自身が作った規程に向けられているんですね。




「約」という一文字

明治44年の改正では、数字も変わりました。

項目

従来

明治44年の改正後

1日の保育時数

5時間以内

保育ノ時数ハ管理者又ハ設立者ニ於テ之ヲ定メ府県知事ノ認可ヲ受クヘシ

1園の幼児数

100人以下(特別の場合150人)

約120人以下(特別の場合 約200人)

保母1人あたり

40人以下

約40人以下

保育時数は、上限が消えて、設置者が決めて府県知事の認可を受ける形になりました。

そして、保母1人が保育する幼児数。40人以下が、約40人以下になりました。お気づきでしょうか。「約」という一文字が入っているんですね。

数字は変わっていません。でも、意味合いが変わります。40人が上限ではなく、およそ40人が目安になったということです。

これは基準を緩めた話に見えますが、私はそれだけではないと考えています。「約」という言葉は、現場に幅を渡す一文字になっていますよね。

実際、『学制百年史』はこの改正をこう評しています。


保育内容においても保母の創意が発揮されるようになった。

保母の創意が発揮されるようになった。文部省の公式の歴史書が、そう書いているんですね。




今日のまとめ


  1. 明治32年 6月、幼稚園に関する初めての単独の法令「幼稚園保育及設備規程」が公布されました。フレーベル会の建議書など、現場の求めを受けたものでした

  2. 保育項目は、遊嬉・唱歌・談話・手技の4つになりました。恩物は手技に一括化され、しかもいちばん最後に置かれました

  3. 明治30年代、東基吉・中村五六・和田実が恩物中心の保育を批判します。その具体的な表れが砂場でした

  4. 明治44年 7月、文部省は幼稚園の保育事項を法令から削除します。理由は、画一的に規定することは、かえって保育の進歩発達を促すことにならず、保育の本旨を誤るおそれがある、でした


ひとことで言うと、こうなります。

明治32年、国は初めて幼稚園だけの法令をつくり、保育内容を4項目に定めた。そしてその12年後、その保育内容を自ら法令から削除した。




次回は大正15年「幼稚園令」

次回の第6回は、大正15年(1926年)の「幼稚園令」です。ついに幼稚園が、小学校から離れて独立します。

勅令第74号。第一条には、幼稚園の目的として「家庭教育ヲ補フ」と書かれています。そしてこの幼稚園令には、3歳未満の子どもの入園を認める規定が入るんです。幼稚園に保育所的な性格を持たせようとした方針があった、と記録されています。

さらに、倉橋惣三。フレーベルの肖像を遊戯室の正面から職員室へ移し、うやうやしく並べられていた20の恩物を、子どもが積み木として自由に遊べるように竹かごに入れた人です。いよいよ登場します。




収録を終えて

第4回から少し間が空いてしまったので、そもそも、なぜすずらんチャイルドケアが幼稚園教育要領の歴史を扱っているのかをお話しさせてください。

保育所保育指針が改定されることは、ご存じの方も多いと思います。その大きな目玉は、こども園・幼稚園・保育所、それぞれの要領や指針を、より一体的なものにしていくことです。そうなると、「どこが変わったのか」「なぜそれが必要なのか」を理解することが必要になります。

でもその前に、そもそも今私たちが手にしている保育所保育指針や幼稚園教育要領は、どういう歴史を経て今の形になっているのか。それを読み解くことを、このシリーズでやっています。

保育所保育指針の歴史は、すでに別の再生リストにまとめてあります。幼稚園教育要領は、幼稚園そのものができるところから、要領ができるまでの流れを解説していて、こちらは20話ほどになりそうです。保育所保育指針よりも、歴史がずっと長いからです。

これを知ることで、指針と要領が一体になったとき、幼稚園の側はどこに違和感を覚えそうか、何に注意しながら新しい指針を読めばいいのか。保育所の側の方も、どこに注目すればいいのか。私自身が理解したいということもありますし、これから新しい指針を読まれる方にも理解していただくために、この撮影をしています。

第1回は1840年、江戸時代のところから始まっています。詳しく知りたい方は、ぜひ第1回から順にご覧ください。幼稚園教育要領ができあがっていく流れを、追っていただけると思います。

処遇改善等加算、人事院勧告分、こども性暴力防止法など、最新の話題もお伝えしているため、このシリーズは不定期の配信になりますが、引き続きよろしくお願いいたします。




「園のやり方は、国の基準どおりにやればいい」と思われがちな園長・主任の先生へ

明治44年、国は保育内容を法令から外し、「保母の創意が発揮される」道を選びました。今の保育所保育指針や幼稚園教育要領も、細かいやり方まではあえて書かず、園と保育者の工夫に委ねている部分がたくさんあります。

ただ、任されているからこそ、職員一人ひとりが指針や要領の考え方を自分の言葉で理解していないと、「何をしてもいい」か「前と同じでいい」のどちらかに流れてしまいがちです。

すずらんチャイルドケアの保育士等キャリアアップ研修は、オンデマンドの講義と、全国の保育者と語り合うZoomの交流を組み合わせた研修です。

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