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幼稚園教育要領の歴史と今【第8回】幼稚園が「学校」になった日|学校教育法と、たった1つの手引き「保育要領」

10 時間前
読了時間: 14分

まずは解説動画をご覧ください(約25分)


▲ 昭和22年(1947年)の学校教育法で幼稚園が「学校」になり、昭和23年(1948年)に幼稚園・保育所・家庭に共通する手引き「保育要領」が生まれるまでをたどります。


戦争のあとの、再出発

前回の第7回は、戦時下の幼稚園をたどりました。『学制百年史』には、戦争によって幼児教育が軽視されることはなく、かえって重視された、と書かれていました。ただしその中身は、保育時間の延長、勤労家庭の優先、そして教育よりも保護。幼稚園と託児所の差は、望まれた形ではなく消えたのでしたね。

そして昭和19年(1944年)に217園、昭和20年(1945年)に486園が廃止されました。5歳児の就園率は、昭和16年の10%から、戦後の昭和21年(1946年)には7.5%に落ちています。

今回は、そこからの再出発のお話です。昭和22年と昭和23年、2つの文書を読んでいきます。


  1. 学校教育法:この法律で、幼稚園はついに「学校」になります

  2. 保育要領:これは幼稚園だけのものではありません。保育所も、家庭も対象にした、たった1つの手引きでした


姉妹シリーズ「保育所保育指針の歴史と今」をご覧いただいている方には、今回、話が合流すると思います。




昭和22年、幼稚園は「学校」になった

昭和22年 3月 29日、学校教育法(法律第26号)が制定されます。施行は同じ年の4月 1日でした。

まず第一条をご覧ください。


この法律で、学校とは、小学校、中学校、高等学校、大学、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする。

学校とは、……及び幼稚園とする。

第4回を思い出してください。明治12年の教育令は、「学校・幼稚園・書籍館等は公立私立の別なくすべて文部卿の監督内にある」と定めていましたね。学校と、幼稚園と、図書館が並べられていたんです。つまり、幼稚園は学校ではなかったんですね。

それが昭和22年、「学校とは、……幼稚園とする」。幼稚園は、学校の一種になりました。明治12年から昭和22年まで、68年です。

なお、事実として申し上げておくと、この列挙の中で幼稚園はいちばん最後に置かれています。この順番に意味があるかどうかは、資料に説明がありませんので、事実だけをお伝えしておきます。




幼稚園令の廃止は「格下げ」ではない

この学校教育法の第九十四条に、こういう条文があります。


左に掲げる法律及び勅令は、これを廃止する。

廃止される法令の一覧には、国民学校令、青年学校令、中等学校令、師範教育令、専門学校令、高等学校令、大学令、盲学校及聾唖学校令、そして幼稚園令など、16の法律と勅令が並んでいます。

第6回でお話しした、あの幼稚園令です。明治31年のフレーベル会の建議書から、現場が声を上げ続け、大会で宣言し、議会に陳情して、ようやく大正15年に手に入れた勅令第74号。それが21年で廃止されました。

ただ、これを「せっかく勝ち取った独立を失った」と読むのは違うと思うんです。

幼稚園令は、国民学校令や大学令と並んで廃止されているんです。小学校のための法令も、大学のための法令も、みんな廃止された。そして、学校教育法という1本の法律にまとめられたんですね。

幼稚園だけが特別に扱われていた状態が終わって、ほかの学校とまったく同じ土台に乗った、ということです。

なお、第九十七条には、この法律の施行の際に現にある幼稚園は、この法律によって設置された幼稚園とみなす、と書かれています。手続きをやり直さなくてよい、という配慮ですね。




第七十七条|「適当な環境を与えて」

では、幼稚園の目的はどう書かれていたのか。第七十七条です。


幼稚園は、幼児を保育し、適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする。

「適当な環境を与えて」。ここです。

第6回を思い出してください。倉橋惣三の「誘導保育」について、こうお話ししました。大人がすることは、教え導くことではなく、その自己充実のために刺激を与え、環境を構成することだ、と。その考え方が、昭和22年の法律の条文に入っているんですね。

大正6年に倉橋が附属幼稚園の主事になり、フレーベルの肖像を職員室に移して、恩物を竹籠に入れた。あれから30年で、「環境」という言葉が法律に書かれたわけです。

そして、この言葉が「環境を通して行う教育」として幼稚園教育要領の基本に正式に据えられるのは、平成元年です。第11回で扱う予定です。その42年前に、もう法律には書かれていたわけですね。




第八十条|3歳未満児の規定が消えた

続いて第八十条です。


幼稚園に入園することのできる者は、満三才から、小学校就学の始期に達するまでの幼児とする。

満3歳から、小学校に上がるまで。お気づきでしょうか。3歳未満児の規定がありません。

第6回でお話しした大正15年の幼稚園令には、「特別の事情がある場合には3歳未満の幼児を入園させることができる」という条文がありましたよね。『学制百年史』はそれを、幼稚園に保育所的性格をもたせようとした方針と評し、そして「この趣旨は実際には実現しなかった」と書いていました。

昭和22年、その条文そのものが消えます。21年間実現しなかった構想が、法令の上でも終わったわけです。

そして同じ昭和22年、児童福祉法が制定されます。3歳未満の子どもは、そちらの世界へ行きます。幼稚園と保育所の二元化が、法律の形で確定した年でもあるんですね。




第七十八条|5つの目標と、6領域の原型

第七十八条は、その目的を実現するための目標を5つ挙げています。

号

原文

一

健康、安全で幸福な生活のために必要な日常の習慣を養い、身体諸機能の調和的発達を図ること。

二

園内において、集団生活を経験させ、喜んでこれに参加する態度と協同、自主及び自律の精神の芽生えを養うこと。

三

身辺の社会生活及び事象に対する正しい理解と態度の芽生えを養うこと。

四

言語の使い方を正しく導き、童話、絵本等に対する興味を養うこと。

五

音楽、遊戯、絵画その他の方法により、創作的表現に対する興味を養うこと。

並べてみますね。健康、集団生活、社会、言語、表現。

そして、昭和31年に日本で最初の幼稚園教育要領が定めた6領域と比べてみてください。

第七十八条(昭和22年)

6領域(昭和31年)

健康

健康

集団生活・社会

社会

(なし)

自然

言語

言語

音楽・遊戯・絵画

音楽リズム・絵画製作

原型が、ここにありますよね。9年後の6領域は、この5つの目標を組み換えたものだと見ることができます。

ただ、1つ足りないものがあります。「自然」です。第七十八条には、自然についての号がありません。三号の「事象に対する正しい理解」に含まれると読むこともできますが、そこは断定を避けておきます。

そして、「芽生えを養う」という言葉が2回出てきます。芽生え。これは第1回でお話ししたフレーベルの「庭」という言葉と、どこか響き合う書き方だと思います。




第八十一条|保母は「教諭」に、でも仕事は「保育」

そしてもう1つ、大きな変化があります。第八十一条です。


幼稚園には、園長及び教諭を置かなければならない。

教諭です。第2回でお話しした明治9年の開園以来、この仕事の名前は「保母(保姆)」でした。明治32年の規程でも、大正15年の幼稚園令でも、そうでした。71年ぶりに、名前が変わったわけですね。

そして、もう1つ注目していただきたい一文があります。同じ第八十一条です。


教諭は、幼児の保育を掌る。

ここが面白いところなんです。小学校の条文、第二十八条を見ると、こう書かれています。


教諭は、児童の教育を掌る。

小学校の教諭は「教育」を掌る。幼稚園の教諭は「保育」を掌る。名前は「教諭」になりました。でも、その仕事は「保育」と書かれたんです。

幼稚園は学校になったけれども、小学校と同じことをする場所ではない。そう読める書き方ですね。

第4回の明治17年「其害不尠(そのがいすくなからず)」、第5回の明治44年「保育ノ本旨ヲ誤ルノ虞」。幼児期には幼児期の方法がある、という考え方が、学校になったこの条文の中にも残っているわけです。


第百二条|私立への現実的な配慮

もう1点、附則の第百二条では、幼稚園の設置者は、当分の間、民法による財団法人であることを要しない、とされています。

幼稚園の多くが私立でしたから、現実への配慮がなされたわけです。第6回でお話しした、市町村への設置の強制が削られた、あの選択の帰結がここにも見えます。




昭和23年、保育要領|三者会談から始まった

さて、学校教育法ができた翌年、昭和23年。「保育要領」が刊行されます。副題は「幼児教育の手びき」です。

この文書は、どうやってできたのか。研究には、こう書かれています。


昭和22年1月31日に行われたヘファナン、坂元、倉橋惣三の三者会談により構成に関する大枠が合意される。このとき既に、保育所や家庭にも言及することは決まっていたようである。

ヘファナンは、アメリカ側の関係者です。ただ、参照した資料には役職の明記がないため、ここではお名前だけをお伝えします。そして倉橋惣三。第6回で登場した、あの倉橋です。

ここが、この回でいちばん興味深いところです。研究はこう続けています。保育要領は、もとは幼稚園について、小学校の学習指導要領と対になるような基準文書として作成しようとしていたものだ、と。

つまり、最初の構想は幼稚園のための文書だったんです。小学校に学習指導要領があるなら、幼稚園にもそれに対応するものを、ということですね。ところが、作成の当初から保育所や家庭での参照も想定されていた。研究者は、それはなぜかと問うています。

内容についても記述があります。子どもの独自性や環境、さらに自由保育を重んじたヘファナンの考え方が影響しており、ヘファナンが示した資料に共感した日本側の委員が、それを参考に内容の検討を進めた、と。

ただし、ヘファナンの思想がそのまま反映されたわけではない、とも書かれています。複数の委員の間で議論が重ねられ、日本側の考えや思想も反映されていた。幼児教育内容調査委員会が組織され、テーマごとに7つの小委員会で検討が進められた、という記述もあります。

押しつけられた文書ではなく、議論を積み上げた文書だったということですね。




幼稚園・保育所・家庭を、同じ地平に並べた

では、中身を見ていきます。まず目次です。


目次

一

まえがき

二

幼児期の発達特質

三

幼児の生活指導

四

幼児の生活環境

五

幼児の一日の生活(幼稚園の一日/保育所の一日/家庭の一日)

六

幼児の保育内容 ── 楽しい幼児の経験

七

家庭と幼稚園

五を見てください。幼稚園の一日、保育所の一日、家庭の一日。3つ並んでいます。幼稚園の一日だけではないんです。保育所の一日も、家庭の一日も、同じ文書の中に書かれているんですね。

『学制百年史』も、保育要領は保育所の保母や一般の母親にも参考になるように編集されたことが特色だ、と記しています。

ここで、これまでの流れを思い出してみてください。

回

できごと

第4回

明治15年、文部省は本格的な幼稚園と簡易幼稚園を分けた

第6回

大正15年、3歳未満児は「厳密には幼稚園と呼ぶことはできない」附設機関とされた

第7回

戦争によって、幼稚園と託児所の差が消えた

第8回

昭和23年、1つの文書が、幼稚園と保育所と家庭を同じ地平に並べた




「楽しい幼児の経験」12項目|休息と自由遊びが保育内容に

では、保育内容です。「六 幼児の保育内容」の副題は「楽しい幼児の経験」。この言い方だけで、もう時代が変わったことが分かりますよね。

ここには12の項目が並んでいます。





1 見学

2 リズム

3 休息

4 自由遊び

5 音楽

6 お話

7 絵画

8 制作

9 自然観察

10 ごっこ遊び・劇遊び・人形芝居

11 健康保育

12 年中行事

「休息」が保育内容なんですね。そして「自由遊び」。休むことと、自由に遊ぶこと。それが、国が示す保育内容の項目として立っているんです。

第3回を思い出してみてください。明治10年の幼稚園規則。保育の細目は25あって、そのうち19が恩物でしたよね。五彩球ノ遊ヒ、三形物ノ理解、剪紙、織紙……。そして実際の保育は、週単位の計画と時間割に基づく一斉の活動でした。

それから71年。休息と自由遊びが、保育内容になりました。


「試案」として刊行された

そしてもう1つ、大事なことをお伝えします。この保育要領は、「試案」として刊行されたんです。

試しの案です。「これでやってみてください」という形で、法的な基準ではありませんでした。手引きなんです。

第5回でお話ししたことを思い出してください。明治44年、文部省は保育事項を法令から削除しました。理由は、画一的に規定することは、かえって保育の進歩発達を促すことにならない、というものでした。

明治44年の「約」、大正15年の「等」、そして昭和23年の「試案」。国が現場に幅を渡す流れの、3つ目です。




今日のまとめ


  1. 昭和22年 3月 29日の学校教育法で、幼稚園は学校になりました。明治12年に書籍館と同じ並びに置かれてから、68年ぶりのことです

  2. 同時に、大正15年の幼稚園令は廃止されました。ただし、これは格下げではありません。国民学校令や大学令と並んで廃止され、学校教育法という1本の法律に統合されたのです

  3. 第七十七条は、幼稚園の目的を「幼児を保育し、適当な環境を与えて、その心身の発達を助長すること」と定めました。倉橋惣三の思想が、法律の条文に入ったわけです。保母は教諭になり、しかしその仕事は「保育を掌る」と書かれました

  4. 翌年、保育要領「幼児教育の手びき」が試案として刊行されました。保育内容は「楽しい幼児の経験」12項目。休息と自由遊びが、その中に入っていました


ひとことで言うと、こうなります。

幼稚園は68年ぶりに学校の中へ入った。そして日本の保育内容は、幼稚園・保育所・家庭に共通する、たった1つの手引きから再出発した。




次回は昭和31年、幼稚園教育要領の誕生

次回の第9回は、昭和31年。日本で最初の幼稚園教育要領が生まれます。

ただ、今回お話しした保育要領との決定的な違いがあります。保育要領は、幼稚園と保育所と家庭のための文書でした。幼稚園教育要領は、幼稚園だけのものになります。今回せっかく合流した道が、また分かれるんです。

そして保育所の側には、昭和40年になるまで、自分たちの指針がありません。ではなぜ分かれたのか。次回、その分岐点を見ていきます。




収録を終えて

幼稚園教育要領は、実は戦後に「保育要領」として、保育所や家庭と一度一体的になっていたんですね。戦時中に望まれない形で一体化したあと、幼稚園は「学校」という名前になりました。ただ次回、この合流した道が、また分かれていきます。なぜ分かれたのかは、次回に取っておきましょう。

このシリーズは、保育所保育指針の改定で、保育所・幼稚園・こども園の要領と指針がより一体的になっていくことを受けて、今の指針や要領がどのようにできてきたのかを歴史から読み解くためにお届けしています。




「保育所と幼稚園、こども園の違いを、職員にうまく説明できない」園長・主任の先生へ

昭和23年の保育要領は、幼稚園・保育所・家庭を同じ地平に並べました。そして今、3つの要領と指針は、もう一度より一体的なものへ近づこうとしています。

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