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幼稚園教育要領の歴史と今【第9回】「領域」が生まれた日|昭和31年、日本で最初の幼稚園教育要領

11 分前
読了時間: 14分

まずは解説動画をご覧ください(約22分)


▲ 昭和31年(1956年)、日本で最初の幼稚園教育要領が生まれ、「領域」という言葉が誕生しました。その6領域が小学校の教科とよく似ていたこと、そして対象が幼稚園だけになったことをたどります。




合流した道が、また分かれる

前回の第8回は、戦争が終わったあとの再出発をたどりました。昭和22年(1947年)の学校教育法で、幼稚園はついに「学校」になりましたよね。明治12年に書籍館と同じ並びに置かれてから、68年ぶりでした。

そして翌年の昭和23年(1948年)、保育要領が試案として刊行されました。保育要領は、幼稚園だけのものではありませんでした。目次には幼稚園の一日、保育所の一日、家庭の一日が並び、保育内容は「楽しい幼児の経験」12項目。休息と自由遊びがその中に入っていた、というお話もしましたね。

今回はその8年後、昭和31年です。今回から第3部に入ります。

この年、日本で最初の幼稚園教育要領が生まれます。そして、今私たちが当たり前に使っている言葉が誕生します。「領域」です。

ただ、今日は嬉しい話だけではありません。8年前に合流した道が、また分かれてしまうんです。




昭和31年、なぜ幼稚園教育要領は作られたのか

まず、なぜ昭和31年に幼稚園教育要領が作られたのか。『学制百年史』には、こう書かれています。


文部省は保育要領実施後の経験と、研究の結果に基づき、また現場の要望にこたえて、昭和三十一年度に「幼稚園教育要領」を作成した。

「現場の要望にこたえて」。ここです。

第5回を思い出してみてください。明治32年の幼稚園保育及設備規程も、フレーベル会の建議書など、現場の求めから生まれてきましたね。第6回の幼稚園令も、長い年月をかけて現場が動かしたものでした。今回もまた、現場が求めたんですね。


改訂の3つの要点

では、何が求められていたのか。昭和31年版のまえがきには、改訂の要点が3つ挙げられています。


  1. 小学校との一貫性

  2. 教育目標の具体化

  3. 指導上の留意点の明示


1つ目の「小学校との一貫性」は、覚えておいてください。今日のいちばん重要な論点に、これがつながっていきます。

そして2つ目と3つ目。教育目標を具体的に示してほしい。指導のときに気をつける点を書いておいてほしい。これは現場の切実な声だと思うんです。


「自由に工夫してください」と言われて、困る現場もある

保育要領は手びきでした。試案でした。そして、自由に工夫してください、と書かれていました。

でも、自由に工夫してくださいと言われて困る現場もあるんです。何をどうすればいいのか、もっと具体的に示してほしい。その声にこたえたのが、昭和31年版でした。




対象が幼稚園だけになった

さて、ここからが今日の重い話です。研究には、こう記されています。1956年、保育要領とまったく異質な幼稚園教育要領が刊行された、と。そして、保育要領は幼稚園だけでなく保育所や保護者も対象であったが、幼稚園教育要領は名前の通り、幼稚園教育のみが対象となっている、と。

昭和23年 保育要領

昭和31年 幼稚園教育要領

幼稚園

幼稚園

保育所

(対象外)

家庭

(対象外)

前回、こうお話ししました。昭和23年、1つの文書が、幼稚園と保育所と家庭を同じ地平に並べた。姉妹シリーズ「保育所保育指針の歴史と今」と、話が合流します、と。

その合流が、8年で終わります。


なぜ、また分かれたのか

正直に申し上げます。『学制百年史』は、その理由を書いていません。

ですので、推測はできます。幼稚園は学校教育法の世界にあり、保育所は児童福祉法の世界にある。所管する省が違います。文部省が作る文書で、厚生省の所管である保育所を対象にし続けるのは、制度上難しかったのではないでしょうか。

ただ、これは私の推測です。資料が語っているのは、対象が幼稚園だけになった、という事実だけです。


7年後、通達で橋を架け直す

そして、この分岐がどうなるか。『学制百年史』には、こうあります。


三十六年ごろから幼稚園の普及・充実に伴って幼稚園と保育所との関係の調整の必要が要望されたため、

昭和38年 10月、文部省初等中等教育局長と厚生省児童局長の連名で、通達が出されました。


今後は幼稚園と保育所がそれぞれの使命達成に努める一方、保育所の四・五歳児も幼稚園教育の趣旨にそって教育がなされるべきであることなどについて通達した。

7年後に、通達で橋を架け直すことになるわけです。分けて、そして橋を架ける。この繰り返しが、令和の今まで続いていると言ってもいいと思います。




6領域|「領域」という言葉が生まれた

では、中身を見ていきます。『学制百年史』の記述です。


幼稚園教育要領においては、教育内容を「健康」、「社会」、「自然」、「言語」、「音楽リズム」、「絵画制作」の六領域に分類し、さらにその領域区分ごとに「幼児の発達上の特質」およびそれぞれの内容領域において予想される「望ましい経験」とを示した。

6領域(昭和31年)

健康

社会

自然

言語

音楽リズム

絵画製作

そして、領域の区分ごとに示されたのが、この2つです。


  • 幼児の発達上の特質

  • 予想される「望ましい経験」


ここで、日本の保育の歴史に新しい言葉が入ります。「領域」です。研究には、保育内容を表すのに初めて「領域」という言葉が使われたのは、1956年(昭和31年)の幼稚園教育要領においてである、と書かれています。


領域とは「大人が整理するための枠」

では、領域とはそもそも何か。昭和39年(1964年)の坂元氏の説明が引用されています。


領域とは幼稚園における幼児の望ましい活動を分析して、それを適当に分類したもの

分析して、分類したもの。つまり、子どもの活動を大人が整理するための枠なんですね。


第七十八条の5つの目標に、「自然」が加わった

ここで、第8回でお話しした学校教育法 第七十八条の5つの目標を思い出してください。健康、集団生活、社会と事象、言語、創作的表現。

あのとき、こう申し上げました。1つ足りないものがある。それは「自然」です、と。

昭和31年、その自然が加わりました。そして6領域になったわけです。

健康、社会、自然、言語、音楽リズム、絵画製作。保育を学んだ方なら、暗記した並びだと思います。これが生まれた瞬間のお話です。




小学校の教科と、そっくりだった

さあ、今日の山場です。この6領域について、当時の研究者がはっきり書いているところがあります。昭和31年の社会科教育学会誌に、こうあります。


その6領域の区分は、形式的には一応、小学校の教科と同じようにしてある

そして、対応が並べられています。

小学校

幼稚園

国語

言語

社会

社会

理科

自然

音楽

音楽リズム

図画工作

絵画製作

体育

健康

算数

(なし)

算数がないだけで、小学校の低学年の教科と対応するんですね。


「経験」が「領域」になった

算数がないだけ。お気づきでしょうか。

第3回を思い出してみてください。明治10年、日本で最初の保育内容が文字になりました。物品科・美麗科・知識科の3科です。そこで、こう申し上げました。フレーベルが「庭」と名付けたものは、日本では「科」になった、と。

そして、昭和23年の保育要領の「楽しい幼児の経験」12項目。見学、リズム、休息、自由遊び。それが昭和31年に、小学校の教科とほぼ1対1で対応する6つの領域になったんです。

経験が、領域になった。


当時の研究者自身が、警告していた

ただ、ここで大事なことをお伝えします。これを書いた研究者自身が、すぐあとに警告しているんです。


しかし、小学校の教科と幼稚園の経験領域の区分とは、類似してはいるが決して同一ではないし、また同様に考えてもならない

決して同一ではない。同様に考えてもならない。

当時から、この危険は自覚されていたわけなんですね。




「現場に混乱をもたらした」という評価

では、実際にどうなったのか。現代の研究者の評価を、そのままお伝えします。


「領域」の概念が創出され、現場に混乱をもたらした1956(昭和31)年版教育要領

現場に混乱をもたらした。強い言葉ですね。

念のため申し上げます。これは研究者の評価であって、文部省の見解ではありません。『学制百年史』は、こういう書き方をしていません。ただ、こういう評価が保育学の世界に存在するということは、お伝えしておきたいと思います。


なぜ混乱したのか

領域が6つあると、領域ごとに指導したくなります。今日は言語の時間、次は音楽リズムの時間。そう並べていくと、小学校の時間割に近づいていきます。

このシリーズで見てきた3つの言葉を並べてみます。

年

言葉

明治44年

保育ノ本旨ヲ誤ルノ虞

昭和22年

教諭は幼児の保育を掌る

昭和31年

領域


「後退」と呼ぶのは簡単。でも、そうは思わない

これを「後退」と呼ぶのは簡単です。でも、そうは思わないんです。現場が「具体的に示してほしい」と求めた結果でもあるからです。

具体的に示せば、画一的になる。自由にすれば、拠りどころがなくなる。このジレンマは、いまの私たちの前にも、まったく同じ形であります。




幼稚園設置基準|「最低の基準」

同じ昭和31年、もう1つ大きな省令が出ます。『学制百年史』には、こうあります。


幼稚園の施設・設備・編制の基準についても検討を進め、三十一年十二月、「幼稚園設置基準」を省令として公布した。

昭和31年 12月 13日、文部省令第32号です。そしてその後、昭和37年 1月、41年 12月、46年 3月に、それぞれ一部改正が行われました。


明治32年の規程が、57年後に

第5回を思い出してみてください。明治32年の幼稚園保育及設備規程です。


  • 保育室は、幼児4人につき1坪

  • 遊園は、幼児1人につき1坪

  • 保母1人が保育する幼児は、40人以内



と定められていました。あの規程が、57年後に省令として作り直されたわけですね。


基準は、目指すものではない

そして、この設置基準の考え方が、第二条に書かれています。


この省令で定める設置基準は、幼稚園を設置するのに必要な最低の基準を示すものであるから、幼稚園の設置者は、幼稚園の水準の向上を図ることに努めなければならない。

※ 掲げた条文は、その後の改正を経た現行のものです。

これを満たせばいい、という話ではないんです。これは下限であって、ここから上げていってください、と書かれています。

認可基準や監査の話をするとき、私はこの条文を思い出すようにしています。基準は目指すものではなく、下回ってはいけない線なんですね。




昭和30年代、普及と地域差

では、幼稚園はどれくらい広がったのか。『学制百年史』には、こうあります。


昭和二十二年ごろから出生児の激増と核家族化の傾向ならびに一般社会の幼児教育に対する認識の高まりなどから、幼稚園に入園を希望する者が増加し、二十四年以降幼稚園は急激な増加を示した。

ただ、地域によっては、希望する幼児の全員を入園させることができませんでした。そこで文部省は、地方の実状に応じて、二部保育や小学校の教室の利用などを配慮するよう、各県に指導を依頼しています。

そして昭和27年以降は、年々400園から900園程度の幼稚園が新設され、この傾向が昭和32年ごろまで続きました。その結果がこちらです。

昭和37年


幼稚園数

7,520園

幼児数

855,909人

就園率

33%

就園率は、小学校1年生に入学した子どものうち、幼稚園を修了した子どもの割合です。第7回でお話しした戦後すぐ、昭和21年の7.5%から、大きく伸びたことが分かります。その後も、昭和39年度には38.9%、昭和45年度には53.7%と、ついに半数を超えました。


香川県79.7%、長野県7.2%

ただ、その普及はおおむね都市部に限られ、都道府県によってもかなりの差がありました。

昭和36年


就園率が最も高い香川県

79.7%

就園率が最も低い長野県

7.2%

公立の幼稚園

36.5%

私立の幼稚園

63.5%

『学制百年史』は、香川県と長野県のあいだに「約七三%の開きがある」と書いています。そして昭和45年になっても、全国3,309市町村のうち1,494、全体の45%の市町村に、幼稚園が1つもありませんでした。


第6回の選択が、35年後の数字になった

ここで、第6回でお話しした、市町村への設置の強制が削られたことを思い出してください。

大正15年、地方長官が市町村に幼稚園の設置を命じる、という項目は、強制するのはおだやかでない、という意見で削除されました。市町村に設置の義務がない。だから幼稚園は私立が中心の世界として広がり、地域差がこうなりました。

大正15年の選択が、35年後の昭和36年の数字になっているわけです。




今日のまとめ


  1. 昭和31年、日本で最初の幼稚園教育要領が作成されました。保育要領実施後の経験と研究の結果に基づき、現場の要望にこたえてのことでした

  2. 教育内容は、健康・社会・自然・言語・音楽リズム・絵画製作の6領域に分類されました。「領域」という言葉が、日本の保育に初めて登場した瞬間です

  3. しかしその区分は、形式的には小学校の教科と同じようにしてありました。国語は言語、理科は自然、体育は健康。算数がないだけです。そして当時の研究者自身が、「決して同一ではないし、また同様に考えてもならない」と警告していました

  4. 対象は幼稚園だけになりました。保育要領は、幼稚園・保育所・家庭のための文書でした。昭和23年に合流した道が、8年で分かれたわけです


ひとことで言うと、こうなります。

昭和31年、日本で最初の幼稚園教育要領が生まれ、「領域」という言葉が誕生した。しかしそれは小学校の教科とよく似ていて、対象は幼稚園だけになった。




次回は昭和39年、「手びき」から「基準」へ

次回の第10回は、昭和39年の告示化です。

幼稚園教育要領が改訂され、小学校や中学校の学習指導要領と同じように、文部省の告示として示されます。告示というのは、法的な拘束力を持つ形式です。幼稚園教育要領は、ここで「手びき」から「基準」になるんです。

そして、姉妹シリーズ「保育所保育指針の歴史と今」をご覧の方に、大事なことをお伝えします。保育所保育指針が告示されるのは、平成20年です。昭和39年と平成20年。44年の差が、ここで生まれます。




収録を終えて

今回は、昭和30年代はじめのお話をさせていただきました。戦争で落ち込んだところから日本が立ち直っていくなかで、本当にたくさんの方が、それぞれの立場で力を尽くしてくださったんだと思います。

こういった土台の上に、私たちの保育所や幼稚園があります。それを知ると、これから自分たちがどんな保育をしていきたいのかも、自然と決まってくるのではないかと思います。

このシリーズは、保育所保育指針の改定で、保育所・幼稚園・こども園の要領と指針がより一体的になっていくことを受けて、今の指針や要領がどのようにできてきたのかを歴史から読み解くためにお届けしています。




「領域ごとの活動になってしまって、遊びから保育を組み立てられない」園長・主任の先生へ

昭和31年の6領域は、小学校の教科とよく似ていました。当時の研究者は「決して同一ではないし、また同様に考えてもならない」と警告していましたが、領域ごとに活動を並べる保育は、その後も長く現場に残りました。

今の要領や指針の領域も、子どもの育ちを見るための窓であって、時間割ではありません。ただ、職員それぞれがその前提を言葉にできていないと、指導計画はどうしても「今日は言葉、明日は表現」という並びに戻ってしまいます。

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